pchmの日記

わたしへ

ナイモノネダリ

自分の思い描いていた"結果"が手に入ったら嫌な事から解放されて幸せになれると思ってた。

でも違った。

 


私は転職活動をしていた。

就活はほぼ個人戦だと思っていたけど違かったのかもしれない。なかなか決まらなくて苦しみを分かち合っていた友人がいた。

それが自分の中で思っていた以上に大きな救いだった事を今すごく実感している。

 


転職活動を無事終えた。

しんどかったあの日々が終わり、内定の連絡が来たらとても晴れやかな気持ちになると思っていた。

そうでもなかった。

 


一緒に辛さを分かち合って来たあの子がまだ決まってない。

それなのに自分だけ先に決まってしまった。

言うべきか否か。

そう思った。

 


他の友達に状況を話した。

その子には、言われない方が悲しい。仲良い友達なのに言えない関係は可哀想。と言われた。

 


"可哀想"

 


これは適切な言葉なのか。

 


言って欲しい子もいると思う。私も多分言って欲しい。でもその子と友達やってる私はなんとなく分かる。

今は言わない方がいい。

 


就職活動とかって、やってる人達にしか分からない空気感があると思う。

経験した人にしか分からない辛さがあって、それを就活やった事ない友人に相談したところで理解は得られなかった。(否定するわけではなくて、就活の空気感は独特だってことに相談した後気付いた)

今はしんどくてピリピリしている時期で、若干受験とも似てるのかな。

就活は大人だけど、やっぱり大人も切羽詰まるとコントロールが難しくなることがあると思っていて。

それで一緒にやって来た友達が無事受かるのを聞いて喜べる情緒とそうでない情緒がどうしても生まれてしまうと思う。

気持ちの余裕って大切だなと改めて感じた。

 


私はそんなに情報共有は好きではない。

"最近選考どう?"と聞いてくる人がいた。

しかも定期的に。その子はもう内定がとっくに決まっていて、私の行きたいところに行く。だから尚更聞かれたくないのかもしれない。切羽詰まっている時期にも聞いてきて正直ストレスだった。一時期その子の行きたかった業種に就いてやろうかとも思って就活をしていた。一体誰のための就活?と思う瞬間が何度かあった。精神の乱れは恐ろしいなと感じた。

 


そんなこんなで最後は自分のための就活をしてやっと決まったのだけれど、一緒にやってきた大事な友達が決まっていないから素直に喜べない。

1番欲しかったものが手に入って、しんどい日々から解放されたはずなのに思い描いていた気持ちにはなれなかった。

みんな同じタイミングで決まればベストなんだけどね、、、。当たり前にそんな事はなくて。

手にした瞬間もう次の何かに手を伸ばしてるんだなって。

人間ってナイモノネダリだ。

 


みんな幸せに退職できますように。